なぜ世界的に見て日本人が英語をしゃべれないのか。

 

ドイツに住んでもう数年になるが、衝撃を受けたことのひとつに、結構な割合で困ったら英語でなんとかなってしまうというものがある。病院の予約などはもちろん、小さなレストランでも英語で通じる。「私英語苦手なの」といって、僕よりも速いスピードでがんがんしゃべってくる。研究所に働いている間は、ドイツ語を話す必要なんてまったくない。

 

なぜなのか。

 

個人的な結論からいうと、これはドイツ語を学んでみたらわかることだと思うが、ドイツ語は英語とほぼ同じなのである。たぶん、日本人が青森弁をしゃべる感覚に近いと思う。日本人からしたら、青森弁は最初はわからないけど、勉強したらきっとわかるようになるというものであろう。それくらいの感じで、ドイツ人は英語を勉強してくるのである。

 

日本企業とのミーティングに出席すると、少し残念な光景を目にしてしまう。日本から来る研究者たちは、もちろん英語が出来ないわけではないのだが、ドイツ人の流暢な(ドイツ単語まざりの)英語におされてしまい、なんとなくだが不利な状況で話がまとまってしまうことが多々ある。別に研究レベル的には、まったく負けていないのではあるが、日本人のことをよく知らないドイツ人からみると、レスポンスが悪い分、話がちゃんと通じ合っているのかわからないまま話がすすむ。

 

この状況が少しでも改善されればなあと思う。

 

まず、以下の図を見てほしい。これは英語が話せる人から見た、言語の習得難易度を表す図である。色が濃くなるほど難易度が上がる。

https://i.imgur.com/Rwp0GSO.png

 www.reddit.com

このデータからひとつの説を強引に導く。

英語話者が日本語を習得するのはかなり難しい。ということは反対に、日本人が英語を習得するのは、そもそもかなり難しいのではないか。

 

それでは以下の事柄に焦点を当てて、日本人にとっての英語の難しさについてまとめる。

  1. 英検とヨーロッパ言語共通参照枠との関係
  2. 表音文字と表意文字

 

ちなみに、ヨーロッパに注目して図をみれば、ほぼである。

今となっては、アジア系の企業との打合せが増えてきてはいるものの、欧米の企業との打合せもまだ数多くしなければならないと思う。ただ、英語での打合せははっきり言って、明らかに欧米人有利である。本気で対等な立場でミーティングを行うなら、間をとってロシア語でやるべきである。ロシア語なんて学んだことは一回もないのだが。

 

 

1.英検とヨーロッパ言語共通参照枠との関係

英検3級取得しました。こう言われると義務教育で必要な英語能力は身につけていると考えることが出来ると思う。英検は5級からあるので、大体レベル3の英語力である。さて、英検2級(高校卒業レベル)では?上にはあと1級と準1級しかないので、レベル的には上から数えたほうが近い。

ただ、英検2級を持っている人の認識はきっと、私英語あんまりしゃべれないし、英語での会議なんて自信ないというのが本音であろう。この感覚は、はっきり言って正しいと思う。僕は、準1級レベルの英語があると、なんかの模試で評価されたことがあるレベルだが、いまだに英語をしゃべれる自信はない。

 

ここで、ヨーロッパの言語基準をみてみることにする。ヨーロッパのレベル分けはA1からはじまり、A2、B1、B2、C1とすすみ、最高のC2でネイティブレベルと評価される。

大体、語学学校では半年に一回レベルがあがるように設定されており、大体3年でC2レベルに上がれることになる。机上の空論ではだが。

中学1年で英語を始めて卒業時には3年の勉強期間となる。勉強量的にはネイティブレベルになれる!机上の空論ではだが。

 

次のグラフを見てほしい。英検とのレベル比較の図である。

http://4skills.jp/qualification/img/table01_2018.png

4skills.jp

他にもいろいろな試験との対応が載っているが、とりあえず英検との比較だけ見ると、ご覧の通り、一番下のレベル(A1)が3級に対応し、英検2級に対応するA2-B1は、ヨーロッパレベルでは全体の半分より下に位置する。日本人からした英検1級は、英語マスターの称号ではあるが、ヨーロッパではマスターの上が、かなり多くいることになる。

結果的に

 

日本で英語ができたとしても、ヨーロッパレベルからみれば、普通レベルになる。

 

日本に英語のプロリーグがあったとしたら、ヨーロッパに行けば草野球レベルなのである。日本人の英語に対する物差しは、ヨーロッパ人の物差しとは違うことをしっかり認識しておく必要がある。

 

 

2.表音文字と表意文字

ドイツにある語学学校の授業をうけていると、もちろんスピーキングの練習時間がある。基本的にレベル分けされているので、同じクラスにいる人は、同じドイツ語レベルである。しかし、こいつら、圧倒的にしゃべれる。同じ単語数を知っているはずなのに、その使いこなし方が違う。反対に、文法の問題では、全然とんちんかんな回答をする。さっきおれにドイツ語しゃべれるアピールしてたくせに、答えを請うてくる。

他にも、最近のドイツ人学生たちの様子をみていると、Whatsupp(欧米版line)の使い方が違う。もはやキーボードで、メッセージを打ち込まない。ただしゃべって音声メモとして、相手に送りつける。そして相手からのメッセージを聞く。音声認識が普及しない限り、僕はドイツ人の友達は出来ない気がする。

 

たぶんこれらは、表音文字と表意文字の違いなのである。簡単にいうと、聞いて文字を理解するか、見て文字を理解するかの違い。表音文字の代表が漢字であろう。見たら大体、意味がわかる。熟語もなんとなく、漢字だけで意味を感じられる。

 

日本人は子供のころから、この漢字の練習を来る日も来る日も学校で受けさせられる。書いて覚えさせられる。表意文字のトレーニングをばかり行っているのである。

そして、英語の単語を覚えるときもそれで、覚えようとする。書いて覚える。ひたすら覚える。(僕はそう覚えてきた。)見て理解する強者になることが出来る。日本史は覚えられても世界史は覚えられない。カタカナの羅列の単語なんてイメージしずらすぎる。

この弊害がドイツ人の同僚としゃべってるときに頻繁に発生する。しゃべってるなかでドイツ語のわからない単語があるとやさしく教えてくれる。その場で意味を理解する。話が終わり、少し経つとその単語が思い出せなくなる。耳で聞いた単語は僕の頭に残らないらしいのだ。うろ覚えの単語でぐぐってみるが、グーグル先生でもサジェストしてくれない。逆に新しい日本語を同僚に教えると、結構うまくその単語をしゃべってくる。

 

耳で聞くか、目で見るかで言葉を理解する違いがそこにはある。

(たぶんどっかに文献や論文があるはずだろう。)

 

これは、単純に先で述べたミーティングにつながる話だと思う。聞いて理解する欧米人と見て理解する日本人。会議というしゃべることが前提の場において、いうまでもなく、聞いて理解できる欧米人が主導権を握ってしまうのは当たり前のことであろう。だれかはやく、相手のしゃべってる文章が字幕としてリアルタイムで出てくるARメガネを作ってくれ。技術的にはもう出来る技術だし。

 

まとめ(言いたいこと)

欧米人とミーティングをする際は、言語をロシア語にして、ARメガネをかけておこなうべきだ。

 

ではなく、日本人が英語を話すことはそもそも文化的に難しいので、それを理解して、英語と向き合う必要がある。さもないと、どんどん世界の波に取り残されることになる。

 

(今回は、英語に対する日本人とヨーロッパ人のそもそもの認識および言語的性質の差異により文章をまとめた。説の部分的な立証にしかなっていないことは重々承知の上である。)